【中学受験・社会】歴史(日本史)の年表&年号の語呂合わせまとめ ②平安・鎌倉編





中学受験の社会で覚えなければいけない年号はたくさんありますが、覚えるのは意外と大変。今回は王道の覚え方”語呂合わせ”と一緒に、覚えるべき出来事をシンプルにまとめた年表を作りました。ぜひ学習にご活用下さい!

シリーズ第二弾の今回は平安時代・鎌倉時代編です。印刷用にコメントを省いて年号・出来事と語呂合わせをまとめたPDFも用意しました。ぜひ印刷してトイレ等に貼ってみて下さい!

※語呂合わせはあくまで語呂合わせなので、事実に関係のない部分もありますがご容赦下さい。

①弥生~奈良編はこちら

794年 平安京遷都鳴くようぐいす平安京
道鏡によって流罪にされた過去を持つ和気清麻呂の建議もあり、洪水に苦しんだ長岡京(784~)に代わって、桓武天皇によって遷都されます。ちょうど100年前の藤原京遷都(694年)も覚えておきましょう。
894年遣唐使廃止白紙に戻す遣唐使
菅原道真の進言により、630年の犬上御田鍬の派遣以来続いてきた遣唐使が廃止され、その後国風文化が栄えました。
935年平将門の乱休眠後、将門兵あげ大失敗
東京・大手町に将門の首塚があります。
939年藤原純友の乱苦策で兵あげ純友失敗
平将門の乱と合わせて、承平天慶(じょうへいてんぎょう)の乱と言います。
1016年藤原道長、摂政に十色に輝く摂政道長
息子・頼通(みちの字が違うので注意!)とともに摂関政治の最盛期を築きました。「この世をば~」の句はあまりにも有名です。
1051年前九年の役人恋しい前九年
本当は12年続いたのですが前九年の役という名称になったわけははっきりとしていません。
1083年後三年の役人を闇討ち後三年
奥州藤原氏の繁栄のきっかけになった戦役です。源頼家は清原氏の内戦に介入しただけということで朝廷から恩賞は貰えませんでしたが、私財で恩賞を出し関東の武士からの株が上がりました。
1086年白河上皇の院政開始一応やろう院政を
摂関家(藤原北家)が衰え、上皇や法皇(出家した上皇のこと)が院政で大きな力を振るうようになります。
1156年保元の乱人々殺し合う保元の乱
後白河天皇と崇徳上皇が争い天皇側が勝利しました。武士の力を借りたため、その後武士の存在感が増すきっかけになりました。
1159年平治の乱人々ご苦労平治の乱
この乱をきっかけに平家の武家政権が形成されていきます。
1167年平清盛、太政大臣にいい胸毛の清盛さん
有名な「平家にあらずんば人にあらず」もこの頃です。
1185年壇ノ浦の戦い
源頼朝、守護・地頭を置く
いい箱作ろう鎌倉幕府
長らく鎌倉幕府が開かれたのは源頼朝が征夷大将軍になった1192年とされてきましたが、実質的には頼朝が守護・地頭を置き権力基盤を整えた1185年であるという考え方が最近主流です。
1192年源頼朝、征夷大将軍にいい国作ろう鎌倉幕府
頼朝は、平安時代、坂上田村麻呂などが就いた蝦夷(東北地方)を征伐する武士のトップだった役職を望みました。
1221年承久の乱人に不意打ち承久の乱
源氏に代わり実権を握っていた北条氏に、後鳥羽上皇が兵を挙げたものの敗れた。北条政子が頼朝への恩を訴えた話は有名。
1232年御成敗式目ができるいつ見に来るの御成敗式目
貞永式目とも言います。
1274年文永の役文永で船酔
名乗りを上げてから一騎ずつ戦う日本は、「てつはう」を使い集団戦法を取った元に苦戦しました。果敢に戦った竹崎季長ら御家人にはほとんど恩賞が出ませんでした。
1281年弘安の役弘安で吐い
元の使者を斬った執権・北条時宗に元は怒り、再び攻めてきましたが、「神風」と呼ばれる台風のおかげで撃退しました。
1333年鎌倉幕府、滅びる一味散々、幕府滅亡
元寇の出費や、分割相続で領地が減ったことにより、生活が苦しくなった御家人の不満を受け、楠木正成や足利高氏(のち尊氏)と協力した後醍醐天皇が幕府を倒しました。

以上、鎌倉時代までの年表でした。

平安時代後半の摂関政治→院政→武家政権の流れ、もつかみやすいと思います。年号を覚えることは、歴史の流れを覚えることです。出来事同士を因果関係とセットで覚えると、流れがつかめ、並べ替え問題でも役に立つはずです!

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