【中学受験・社会】歴史(日本史)の年表&年号の語呂合わせまとめ ③安土・桃山編





中学受験の社会で覚えなければいけない年号はたくさんありますが、覚えるのは意外と大変。今回は王道の覚え方”語呂合わせ”と一緒に、覚えるべき出来事をシンプルにまとめた年表を作りました。ぜひ学習にご活用下さい!

シリーズ第三弾となる今回は安土・桃山時代編です。語呂合わせはあくまで語呂合わせなので、事実に関係のない部分もありますがご容赦下さい。

シリーズ第一弾の弥生〜奈良編,第二弾の鎌倉・平安編はこちらからどうぞ。

1336年南北朝時代始まる吉野の山へいざ去ろう
ときの天皇、後醍醐天皇に反して足利尊氏が光明天皇を立てて上洛し、北朝ができます。これに対し後醍醐天皇は吉野に逃れ、南朝をつくり独自の支配をつづけました。この南朝と北朝の二重支配は1392年の合一までしばらく続き、またこの時期に守護大名が成長しました。
1338年足利尊氏、征夷大将軍に将軍尊氏いい耳や
北朝の光明天皇により、足利尊氏が征夷大将軍に任ぜられました。
1368年明の中国統一勇むは明の朱元璋
当時中国を統一していた元を北方に追いやり、朱元璋が明を建国しました。翌年、明は倭寇の禁止を求めて日本に使いを送りました。
1392年李氏朝鮮の成立いざ国つくる李成桂
当時朝鮮半島を支配していた高麗を倒し、李成桂が朝鮮を建国しました。またこの年、日本では足利尊氏が南北朝を合一し、二重支配に終止符を打ちました。
1404年勘合貿易始まる人寄れよ日明貿易始まるぞ
足利尊氏が1401年に明と国交をひらき、この年に明との貿易が始まりました。取引をする船同士は、たがいが正式な取引相手であることを示すため、勘合と呼ばれる割り符を持っていました。
1428年正長の土一揆一夜にエイと土一揆起こす
近江国坂本の馬借たちが起こした一揆が最初の大規模な土一揆に発展し、京都の土倉や酒屋、寺院などがおそわれました。
1467年応仁の乱人世むなしき応仁の乱
ときの室町将軍足利義政の相続争いなどを発端に、細川勝元率いる東軍と山名持豊率いる西軍の11年にも及ぶ戦乱がつづきました。京都を焼け野原にしたこの壮絶な戦いは、戦国時代の幕開けを象徴する事件としても知られます。
1485年山城国一揆意志はいつでも山城一揆
山城国で争いを続けていた畠山氏に対し,国人たちが国からの撤退を要求し,以後8年間自治を続けました。
1488年加賀一向一揆意志ははっきり一向一揆
加賀国を治めていた守護・富樫政親が浄土真宗を信じる農民たちに倒され,以後100年間加賀国は「百姓の持ちたる国」と呼ばれました。
1492年コロンブス,西インド諸島発見意欲に燃えるコロンブス
のちにアメリカ大陸であることが確認されました。
1498年バスコ・ダ・ガマ,インド到達意欲はっきりカリカット
バスコ・ダ・ガマがインドのカリカットに到着し,インドへの航路を確立しました。
1519年マゼラン,世界一周へ一行いくは世界一周
マゼラン率いる探検隊によって,地球が球形であることが証明されましたが,マゼラン本人は航路の途中フィリピンで死亡しました。
1543年鉄砲伝来以後読み外れる鉄砲伝来
種子島にポルトガルから火縄銃が伝来し,およそ30年後には長篠の戦いで織田信長が鉄砲隊を結成するなど,戦のあり方を大きく変えました。
1549年キリスト教伝来以後よく広まるキリスト教
サンフランシスコ・ザビエルが鹿児島に上陸し,キリスト教を伝えました。
1568年織田信長,京都に上る日頃は静かな京に異変
織田信長が足利義昭を将軍として京都に上洛し,天下統一を目指しました。
1571年織田信長,延暦寺を焼き討ち人来ない延暦寺
織田信長が延暦寺を焼き討ちし,一向宗の反抗をおさえました。
1573年室町幕府滅亡以後涙する将軍義昭
織田信長は反抗するときの将軍・足利義昭を京都から追放し,室町幕府を滅ぼしました。
1582年本能寺の変・山崎の戦い以後は日本を背負う秀吉
本能寺の変において,明智光秀が主君である織田信長を倒しましたが,豊臣秀吉に山崎で滅ぼされました(山崎の戦い)。

以上、安土桃山時代までの年表でした。