前編:「高校生の悩み”何を明日から学ぶか”を聞いてみる」~おおたとしまささんインタビュー


今回は、育児・教育ジャーナリストとして多方面でご活躍されているおおたとしまささんに、麻布学園に通う高校生2人がインタビューを行わせていただきました。

前編では、中学受験に対する本質的な価値観が揺らぐようなお話から、私たち高校生が今まさに悩んでいることをお聞きします。(後編では、おおたとしまささんの父親観や、小学生のゲームについて。麻布の教育や著書について迫ります。)ぜひ、ごゆっくりお読みください。

おおたとしまささんプロフィール

1973年、東京都生まれ。麻布中学・高校出身で、東京外国語大学中退、上智大学英語学科卒。中高の教員免許を持ち、リクルートから独立後、独自の取材による教育関連の記事を幅広いメディアに寄稿、講演活動も行う。著書は50冊以上。最新刊の情報はこちらから

文集オンライン
おおたとしまさオフィシャルブログ

インタビュー

中学受験にどう向き合う?

受験で必要な力とは

りん:中学受験に対しては「入試問題が難化し負荷だけ上がっていく」だとか「AI時代になって受験勉強が関係ない」のような否定的な意見もあります。では、まずそもそも”現状”として、(中学受験をゴールと見た時に)必要とされている力は何でしょうか。

おおた:①大量の課題をこなす処理能力 ②耐えられる忍耐力 ③与えられた課題に疑いを持たない能力 この3つがある人が強い仕組みになっていますね。

山木:昔はメソッドが飽和しておらず、より総合的に見られていたという話もあります。先輩の家に遊びに行って参考書を受け取れるかとか、計画力があるかなど。

おおた:少なくとも、共通一次(1979年~1989年)より前ぐらいの話でしょう。1980年代にはもう塾は出来ていたので相当前の話です。

勿論、当時の四当五落(※編注 「4時間しか寝ない人は合格できて、5時間以上寝ている人は不合格になる」という通説、今やこの考え方は廃れている。)のように極端に行き過ぎることもありましたが、それぞれの人がそれぞれのやり方で学んだ時代でした。

今の時代、塾が最短距離を見せてくれるからこそ、自分なりの試行錯誤の機会は減っているとも思います。本来は、どうしてもやらないといけない事をどう受け入れるかの試行錯誤を自分で出来るかが大事です。

本来「自分ってこういう人間なんだ」と気付くきっかけになる

りん:私も何も考えず塾の課題だけをやってしまう面はありますね。後になってそれが油断や非効率などを招き、仇になってしまうこともあります。

おおた:僕の例だと、仕事をしている中で「どうやったらパフォーマンスが上がるか」と試行錯誤します。大作家さんのスケジュールを真似ればいいかというとそうではなくて、自分には自分なりに合うものがある。

このような試行錯誤で本来「自分ってこういう人間なんだ」と気付くきっかけになるはずです。ただ、現状としては「これをどれだけ早く出来るかで勝ち負けが決まる」という受験ルールに乗っけられてしまう面もあります。

りん:それでは、受験で本来問われるべき力というのはどのようなものなのでしょうか?

おおた:特に”どんな力が問われるべき”とは思いません。そもそも、どんな人でも生きられる世の中じゃなければいけないから、本来は”こんな力が必要だという発想”自体がおかしい。

りん:(同様の話として、)学校などでしたくない・意味が感じられない勉強などもあります。自分なりの答えとして、自分のしたいことだけやっていても社会に評価されないからか、とは考えています。

おおた自分のやりたくないことはしなくても良い。人生にそんな無駄な時間はない。”社会に評価されるということ”が二つの観点からおかしいと思います。

一つ目が、自分のやりたいことだけやっても社会に評価されないのは本当か、単なる思い込みではないか、という点。むしろ、平均点だけ取っていても社会からは面白くないと評価されるでしょう。「何の役に立つか分からないけど、虫だけにはとても詳しい。」は社会の中のあなたのアイデンティティになるでしょうし、”自分がしないといけないと思うことがある”という事がとても大きな財産です。

二つ目は、そもそも”社会から評価されることを求める心理”自体がなぜか。「そもそも社会から評価される必要ってあるんだっけ。」と疑ってみるべきだと思います。

これに関しては当然、誰にでも起きる疑問で、「親友のあいつには認めてほしい」だとか「恋人には分かってほしい」というのは自分の中で大事にすべきだと思います。ただ、漠然と社会に評価されなければいけない、は単なる脅し。

人は自分なりの楽しさや幸せは異なるから、自分自身で見つけていくのでしょうね。

りん:確かに、受験や社会(⁼他人の尺度)に合わせようと思ってしまう自分に気付いていませんでした。私自身の取り組み(?)としては、コロナ休暇中に「自分だけでも勉強できるのではないか」と思ってしまい、中学の試験はとても真面目にやっていたのに高校から学校の勉強をさぼっているという現状はあります。

おおた:それは鉄緑会の貯金が利いているんじゃ。(※編注: ※鉄緑会…中高6年一貫校の生徒を対象とした東京大学受験指導専門塾。あの筑駒に至っては、6割の生徒が鉄緑会に通う現状。もはやここまでくると、「どの学校で学ぶか」と「東大に入学するか」はほとんど関係ありません。)

りん:数学とか物理がやりたいがために、地理を捨てる…ような感じです。

おおた:でも、全然いいと思います。どこかでやりたい時が来たらやってみれば良い。ただ、学校の先生も変にそうは言わないですが。

りん:ちなみに、おおたとしまささんの学生時代は定期試験はどうされていましたか。

おおた:こんなかっこつけたこと言いながら、割とそつなくこなしてました。

一同:(笑)

受験勉強では学べることはごく一部

りん:学校の論文執筆中、「ルポ 塾歴社会(幻冬舎 おおたさんの著書)」に感銘を受けたこともあり、受験勉強で学べないけど大事なことって何だろうと考えています。

ルポ塾歴社会 日本のエリート教育を牛耳る「鉄緑会」と「サピックス」の正体(著:おおたとしまさ-2016/1/29)本書では、出身者の体験談や元講師の証言を元に、サピックス一人勝ちの理由と、鉄緑会の秘密を徹底的に解剖。学歴社会ならぬ「塾歴社会」がもたらす、その光と闇を詳らかにする。

今回のインタビューは取材者2人がどちらも鉄緑会に通っていますが、そろそろ受験社会に疑問を持ち始めてきた年齢です。学校には受験以外の役割があるのでは?それはどのようなことだろう。(詳しくは後半で。)

おおた:受験勉強で学べないけど大事なこと……だらけですよね(笑)。確かに受験勉強の中で、たくさんのこと学ぼうと思えば出来るだろうと思います。ただ、人生の中ではごくごく一部でしかない。たぶん、一人の人間を愛する方が学べます、間違いない。

りん学べること自体がごく一部、という視点自体が大事なことですね。私個人としても、(受験勉強でないものの例として)人間力は大事だとは思っています。

おおた:人間力っていうのも何なんだろうという話で、大切なものを都合よくそう呼んでいる面はあります。まさに非認知能力(※編注:テストでは測れない力のこと、今流行の言葉。よくよく考えるととても曖昧。)を重視することとかも同様。言葉にも流行り廃りがあるので、近いうちに呼び名が変わるんじゃないかな。

山木:なるほど。

受験で得られることとは

すごく重要な経験が12歳でできる

りん:受験勉強で学べることは限られていることを踏まえたうえで、どのようなことが学べるでしょう。

おおた自分の努力で道を切り開く経験が出来ます。入学する学校が第一志望でないケースが圧倒的に多いわけで、これを正々堂々と受け入れ前向きにとらえて開かれた道を堂々と進んでいく。これは人生においてすごく重要な経験。これが12歳で出来ることは大きな意義があるでしょう。

りん:学歴という意味だと、受験はどの程度重要だと思いますか?

おおた:これは簡単な話で、学歴が物を言う社会とそうでない社会があるよ、と思います。旧態依然のTHE日本企業ならいるだろうし、フリーだったらそんなに要らないだろう。ただ、昔と比べ有効な領域がどんどん狭まっているという印象はあります。

受験社会の中の学校と塾の意味

りん:受験に学校と塾はつきものです。受験社会の中で、まず、進学校も含め学校の意味とは何でしょうか。

おおた:大きく分けると二つ。一つ目はそれぞれの学問の視点を経験すること。学校の教科数分だけ、世の中を見る視点はこれだけあるよという事を経験する場。

例え話として、ここに卵がありますと。数学的に見れば卵の体積はどのくらいだろう(※編注:水の中に入れてみてあふれた水の量を見る、というのも小学校でやりました。)、理科的に見ればこれは何の卵だろう、社会科的に見ればこれはどこで作られてなぜ20円で売られているんだろう、家庭科で言えばこれで何が作れるだろう。

色々な学問の様々な角度から光を当てることで、”卵”も色々な定義が出来る。同様に、世の中の見方はこれだけあるんだよと。長い人類の歴史の中で、「とりあえずこれが一番合理的なんじゃないの」というパッケージがこの学校の教科。これは人類の財産だと思います。

一日6時間の授業の中で、学校の先生が「これはこうだから、面白いでしょ。」と面白おかしく話してくれたらつい聞いちゃうもの。まるで、たまたまテレビをつけたら興味がなかったのについつい見ちゃった。これを小中高で12年間もしていたら相当な教養がつくはずです。

なんだけれども、しかし、授業でものすごく大きく心が動いたとする。そのあとに何の時に先生はなんと言ったか?で記述させて一文字を間違えたらだめとか、どれだけ覚えているかとか。

りん:それはちょっと間違いですよね。

おおた:でもそれを問うてしまうのが受験社会ではあります。数学などはある程度自分で手を動かしてみないと感覚がわからないなどはあるものの、そこで数点の差はどうでもいいんじゃないか。体育でバスケをしたとして、これはプロを目指すわけではない。こういう感覚なんだとかこう楽しいんだとかが大事で、どれだけ正確にボールを投げられるだろうを目指すことが大事なわけではない。その世界に触れた経験があること自体が大事なのだと思います。

塾は効率さや正確さなどを提供してくれているサービスという宿命はしょうがなく、例えば、この教科どうしても出来ないんだよな~というときに塾を使ってみるのも一つの手ですね。

二つ目はミニチュア社会として社会性を身に着けること。大人としての生物的なマストに追われる前に、子供が社会でどう生きていくか・どう見るかのインターフェースの経験の場所が本来的な学校の役割だと思っています。

学校が”力とかスキルを身に着ける場所”として見られることもあります。しかし本来は、それぞれの人が「自分ってこんなことが好きなんだ」、つまり「自分ってこういう能力があるんだ」を発見する。社会の中での居場所を発見する。これさえ出来れば良いのではないか。

(編注:ちなみに学習指導要領でも高校では

第五十一条 高等学校における教育は,前条に規定する目的を実現するため,次に掲げる目標を達成するよう行われるものとする。

一 義務教育として行われる普通教育の成果を更に発展拡充させて,豊かな人間性,創造性及び健やかな身体を養い,国家及び社会の形成者として必要な資質を養うこと。

二 社会において果たさなければならない使命の自覚に基づき,個性に応じて将来の進路を決定させ,一般的な教養を高め,専門的な知識,技術及び技能を習得させること。

三 個性の確立に努めるとともに,社会について,広く深い理解と健全な批判力を養い,社会の発展に寄与する態度を養うこと。

とされています。)

おおた:ただ、行きたい学校に行くための手っ取り早い機関として塾というものが生まれてきた。本来の勉強というのは社会とのインターフェイスのはずだったのだけど、行きたい学校のための勉強というものも派生している現状。むしろそっちがメインになってしまった面があります。

山木:受験勉強面では学校は塾よりも劣るイメージがあり、個人的には学校に意義を見いだせていないかもしれません。学び舎としての学校の意味がよく分かりません。

おおた:昔は皆私塾だった訳なので、今も塾や自分で学べるんだったらそれでいいと思います。

目標を持っていなければいけないというのもおかしい

山木:ところで僕が鉄緑会に入ったきっかけは、自分全然勉強出来てないと思って、中3の夏に鉄緑会の入塾試験を受けたことでした。

おおた:ちなみにクラスで何番くらいでした?

山木:麻布のクラスでは12番/40番で英語とか数学が足りていませんでしたね。

おおた:12番だと試験は余裕だった?

山木:いや、1回落ちているのですが。

おおた:12番でも?そうなんですね。

山木:当時は詰め込んで勉強していました。ただ最近において言えば、学校の中の順位はそんなに不満じゃない。順位を目標に生きてきた自分にとって、今となっては目標を失っています。どのような目標を持つべきなのでしょうか。

おおた:本質的な価値があるかは別として、中高生の目標は部活でも勉強でも、形式上の目標を無理やり作るというのはあり。自分をモチベーションのための目標ならいいと思います。

一方で、そもそも何らかの目標を持っていなければいけないかと言われるとそうは思いません。

僕は、「夢を持てと言う大人は信じてはいけない」とは思います。つまり、まず夢は思ったらすぐ持てるものではない。そして、そういう大人は大概、子供に何か夢を持たせて頑張らせたい。「自分で決めた夢なんだから、努力しろ」というような手段として夢を語らせるのは卑怯だと思います。

受験勉強の中で輝けるならそこで頑張るべき。でも、出来ないからダメ人間と思う必要はない。

りん:学校の課題の関係で、学校の複数人の友達に受験勉強や学校についてどう思うか色々話を聞いたりしていますが、意外と多種多様な意見があるなと。彼らも語っていたんですが、テスト順位が低くても頭がいい人はいっぱいいる。皆色々考えているんだなと思いました。

おおた:みんなまさにそういう時期ですね。

何を明日から学ぶか

幸福の秘密

りん:受身の学歴社会に沿う一方、人生に必要なことは受験勉強だけじゃないと気付いたとき、明日から何を学ぼうかと困っています。

おおた「本質的な学ぶべきこと」と「これやりなさいと言われているもの」があり、必ずしも一致していない時、自分は何をしたらいいのだろうか。

ブラジルの作家パウロコエーリョが書いた「アルケミスト」(1988年)という名著があります。この中の例えに、ある賢者が「幸福の秘密とは、世界の全ての素晴らしさを味わい、しかもスプーンの油を忘れないことだよ」(目の前のスプーンの油をこぼさないように、広い世界を回ってみることが人生)とあります。

それぞれの状況・立場によってその”バランス”が変わってきます。自分の人生で大事なもの、それを追い求めながらも目の前の課題はしないといけない。ある程度どちらかをやって土台を固めながらもう一方に手を伸ばしてみる人もいれば、当然どちらかばかりになってしまう人もいる。これをどのようにバランスを取るか、これが人生を決めてくるだろうと思います。

結果でなく過程を

りん:目の前の課題という意味だったとしても、小学生にとっての受験期(2年以上)は長いですね。

おおた:ここに関しては人それぞれの型があるなと思います。モチベが下がったときにやりたくない事をやらないのも、成績が落ちるのが絶対ヤダといって取り組むのも、どちらも人ぞれぞれの生き方。

受験ではなく、人生全体で見た時はどっちが正解かはわからない。解決方法をずっと模索することになるかもしれないし、そうでもないかもしれない。ただ、葛藤を”自分で”試行錯誤すること自体に価値があると思います。

受験生へのメッセージ~「今しかできない事」をする

おおた:”生きる”ためには、受験ってそもそも大して重要ではありません。教育の優先順位というのは「今しかできない事」をすることだと思います。損得勘定をして未来のために何かをしようとと思うと、今何か大切なものを失ってしまう。大原則として、今しかできない事って何だろうと考えることが大事です。高校生だったら、若い時だからこその大失恋をしてみたり。

日本の中では、受験勉強がものすごい大きいセクションになっているといういびつな仕組みがあります。その中で生きていくなら上手く通り抜けなきゃいけないんだけど、それに最適化しちゃ駄目でしょ、と。

山木:なるほど。

おおた:勿論、そこでこそ輝ける人も一定数はいます。ただ、損得勘定で受験勉強に最適化してしまうことは正しくない。いびつな社会の影響だと思います。

自分が行きたい学校に行くという夢を実現するための努力は貴い。だけども、漠然と人よりもいい点数を取るということ。これに自分を最適化してしまうのは望ましくない。例えば、官僚社会の中で嘘を言ったら出世するとして、それに最適化しちゃったら人間として正しいと言えるのか。

損得勘定で一旦は損をするかもしれない、回り道かもしれない。けれども、そこで自分の信念を捨てちゃったらよっぽど損するよ。だからこそ、勉強しないと大人になって損するよみたいな、大人の脅しに屈するな、ですかね(笑)

りん:明日からは大人に屈しないようにします!

(後編に続く…)